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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)4056号 判決

原告

木場登市

被告

高槻交通有限会社

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自一五九七万六〇〇〇円及びこれに対する昭和五八年二月八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年四月七日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故(以下本件事故という。)の発生

(一) 日時 昭和五五年四月六日午後七時二五分ころ

(二) 場所 大阪府高槻市大手町一番二三号先交差点(以下本件交差点という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(大阪五五え三一六〇)

被告松本正師(以下被告松本という。)運転

(四) 被害車 原告

(五) 態様 原告が自転車を運転し、本件交差点の横断歩道上を青信号にしたがつて横断中、左折進行してきた加害車に衝突された。

2  責任原因

(一) 被告高槻交通有限会社(以下被告会社という。)は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(二) 被告松本は、交差点を左折するにあたり、横断歩道の直前で一時停止し、安全を確認したうえ進行すべき注意義務があるのにこれを怠たつた過失により、本件事故を発生させた。

3  受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 受傷

本件事故により、原告は、頸椎捻挫、左肩・両膝・右小指・左環指・左小指挫傷の傷害を負つた。

なお、原告は、雨のため右手に傘をさし、横断歩道上を自転車で渡ろうとした際、右手に加害車のライトを感じた瞬間、自転車の前輪右側に加害車の左前部付近が衝突し、自転車もろとも路上に転倒したもので、その際、頸から頭部等を打撲した。

(二) 治療経過

原告は、本件事故直後、みどりケ丘病院で応急処置を受けた。同病院では外見上の負傷を治療しただけである。その後、岡田外科で、昭和五五年四月八日から同年八月一日まで一一六日間に八三回通院治療した。同外科の診断書(乙第九号証)には、「頸部の疼痛強し」との記載がある。同外科で治療中の同年六月五日、行岡病院で受診し、その後、症状が悪化し、新聞が読めなくなり、同年一二月一五日ころから昭和五七年九月二四日までの間、同病院に一〇二回自費で通院した。同病院で頸椎捻挫の治療を受けるとともに、眼の異常等で昭和五六年一月七日、小山眼科で受診した。同眼科の医師小山賢二(以下小山医師という。)は、証人尋問において、右同日の初診時、原告には顔面痙攣様の麻痺があり、右眼視力が〇・九であつたこと、その後、症状が進行し、昭和五七年七月七日には、眼瞼痙攣が相当強くなり、同年八月一一日には視力が左右とも〇・〇五に悪化したこと、原告の眼の症状は治らないと思つたこと、同医師が行なつた研究によれば、鞭打症、頚腕症候群における眼の症状は、事故から発症までの期間につき、すぐ出る場合と、数か月経つてから出る場合があることを証言している。原告は、その後、大阪医科大学附属病院(以下大阪医大病院という。)、京医院、大阪大学附属病院(以下阪大病院という。)等で眼の治療を受けたが治癒せず、昭和五八年二月八日ころ、次の後遺障害を残して症状が固定した。

(三) 後遺障害

(1) 原告には、外傷に関連する中枢性視覚障害、視野狭窄、視力低下、調節力障害の後遺障害が残存している。右後遺障害は、大阪赤十字病院三根享医師(以下三根医師という。)の鑑定(以下三根鑑定という。)によれば、自賠法施行令二条別表(以下別表という。)後遺障害等級二級二号に該当する。

(2) 被告らは、原告の後遺障害は作為的であり、本件事故と因果関係がないと主張するが、右は、本件事故直後に応急処置をしたみどりケ丘病院の粗雑な診断書にとらわれすぎているものである。原告は、本件事故前、視力が正常であつたことは長堀病院の診断書(甲第二〇号証)により明らかである。同号証によれば、原告の昭和五四年一〇月三一日当時の視力は、右一・二、左一・五であつた。原告に、現在、強度の視力障害が残存していることは、大阪大学中尾雄三医師(以下中尾医師という。)作成の後遺障害診断書(甲第四八号証)、前記三根鑑定等で明らかである。三根医師は、証人尋問において、原告は両眼とも「中等度の求心性狭窄」であること、視野検査では作為性は認められないこと、視野が狭い場合でも自転車に乗れないことはないこと、歩行にある程度影響するが勘がよければ杖なしで歩けないことはないことを証言している。

(3) 原告の生活状況は、本件後遺障害の影響のため、次のとおりである。

ア 超強度メガネを着用し、さらに拡大鏡を使用して、字の読み書きは可能であるが、時間がかかりすぎる。

イ 貿易業をするためタイプも打つてみたがまちがいが多く、時間もかかりすぎ仕事にならず、結局やめてしまつた。

ウ 前方一〇メートル程度の物の存在はわかるが、霞の中を見ているようにぼやけていて正確に見えない。

エ 右のような状況と、何とか回復したい一心でその後も、阪大病院や京都府立医大で診てもらつているが生涯回復の見込みがない状況で精神的にもつらい毎日である。

オ 右のような視力のため、現在、就業できる状況にない。

カ 原告は、妻(昭和一九年生)、長女(昭和四六年五月生)、長男(昭和五〇年七月生)の四人家族で、事故前は、原告の稼働で生活していたが、事故後は妻がパートに出たが、生活が維持できず、昭和五八年三月二九日からは生活保護を受けている。

4  損害

(一) 後遺障害による逸失利益 六五八八万円

原告(昭和一七年一月一日生)は昭和三五年に県立徳ノ島高校を卒業し、昭和三九年神奈川大学工学部電気工学科を卒業し、実兄が経営する貿易業に従事して、貿易実務を習い、電動工具等の輸出業をするかたわら、本件事故当時は株式会社神戸屋で働き家族の生計をささえてきた。少なくとも平均的稼働能力を有した。

原告は前記後遺障害のため、その症状が固定した四一歳から二六年間にわたり、その労働能力の八〇パーセントを喪失した。

昭和五九年度賃金センサス男子、年齢別平均賃金により、原告の逸失利益を算定すると六五八八万円(端数切捨)となる。

502万8500(円)×0.8×16.379=6588万9441(円)

(二) 後遺障害慰謝料 一六〇〇万円

よつて、原告は、本件事故による後遺障害に基づく損害の賠償として、自賠法三条及び民法七〇九条に基づき、被告らに対し、各自、右損害の内金五〇〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和五五年四月七日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1(一)ないし(四)はいずれも認め、同(五)は否認する。

2  同2(一)は認め、同(二)は否認する。

3  同3(一)(二)はいずれも不知、同(三)は否認する。

4  同4は否認する。

5  被告らの主張は次のとおりである。

(一) 本件事故は軽微な事故であつた。すなわち、加害車は、時速一五キロメートルたらずの速度で左折する際、原告の乗つていた自転車の前輪右側に接触し、自転車が転倒し、原告は、右第五指、左第三、四、五指挫創により、加療一週間の負傷をしただけである。原告は、本件事故当日とその翌日、みどりケ丘病院に通院したが、同病院の医師に対しては、その問診でも前記指の負傷だけを訴えていた。原告は、本件事故で頭部を打つた事実はなく、治療も指に対してだけであり、レントゲン撮影も両手に対して二枚とつているだけである。乙第八号証(みどりケ丘病院の診断書)によれば「右手第五指挫創」「創縫合処置包交治癒」となつている。同病院では、これでなおるといわれたのである。

ところが、原告はこの後昭和五五年四月八日から同年八月一日まで、岡田外科に八十三回通院しているが、その病名は、「頸椎捻挫、左肩、両膝、右小指、左環指、小指挫傷」というものである(乙第九号証の岡田外科の診断書)。事故直後は、指だけの負傷ということで、みどりケ丘病院の診察をうけたものであり、これに比べると、次に、診察をうけた岡田外科では、原告の主張により頸椎捻挫、左肩、両膝の傷病名がふえているが、同病院では、問診でも、主訴でも頭部を打つたということはいつていない。乙第一一号証(岡田外科の診療報酬明細書)によれば、検査は頸椎レントゲン撮影をしただけである。しかして、同年四月一五日には、同外科において、左肩、両膝、右小指、左環指、左小指挫傷は治癒と判断されており、残つた症状は頸部捻挫であつたが、これも本人が右項頸部痛を訴えているものの神経学的異常はなく、頭痛、めまい、嘔気、両上肢の異常の訴えもなかつた。右についての治療は頸椎牽引と内服薬(鎮痛消炎剤、筋弛緩剤)の投与だけであり、特に治療を要するものではなかつた。症状は頸部痛を訴えるだけであり、頭痛、嘔気、めまい、握力低下、知覚異常等は訴えておらず、同年八月一日を最後に通院を中止した。

(二) 原告主張の症状は本件事故と関係がない。すなわち、原告の訴える頸部捻挫は、途中から訴えだしたものであり、症状の遷延をはかつてのことと考えられる。頸部捻挫を除くと原告の傷害は、本件事故後一〇日で治癒している。原告のかかる症状によつて視力障害が発生することはありえない。原告は、本件事故後、一年二か月を経て視力障害が出現したとしているが、外傷後、遅発性視力障害は、ほぼ一か月前後で出現する。昭和五六年一月七日、小山眼科での視力検査によると、原告の裸眼視力は、右〇・九、左一・二であり正常である。原告が、視力について、軽度の近視を訴えはじめたとされる診断書は、甲第九号証(小山眼科の診断書)である。同診断書によると、原告は、顔面神経麻痺(右)と、軽度近視(右)で、視力は右〇・七、左一・〇で眼底には異常を認めずとあり、診断日は昭和五六年六月二四日である。本件事故日は、昭和五五年四月六日であり、一年二か月以上を経過してから発生したという原告の近視と本件事故との間には、何ら関係はない。大阪赤十字病院の三根医師の鑑定書(以下三根鑑定書という。)によれば、眼球運動に障害なく、前眼部・中間透光体、眼底に著変なく、頭部単純撮影・CTスキヤンは、いずれも異常なしとなつている。以上は他覚的検査であり、患者の作為が入る余地が殆んどない。また、同鑑定書では眼圧測定、E・R・G検査は実施できないとあるが、この検査も患者の作為の入る余地がないものである。阪大病院の診断書(甲第五二号証)によつても、脳CTスキヤン、視覚誘発電位、網膜電図の客観的検査は、すべて、異常がない。すなわち、原告になされた客観的諸検査は、すべて異常がない。眼科において、実施される諸検査の中で、視力検査、視野測定は、患者の訴えや応答に左右されるものであり、その応答結果を検査結果とするものであるから、被検者の協力如何によつて正確性の程度も異つてくるものであり、被検者が自己の認識したところと異なることを答えると、当然のこととして、右検査結果は被検者の現実の視力ないし視野を反映しない。しかるところ、三根鑑定書で原告に異常があるのは視力と周辺視野だけである。原告は、何ら器質的異常がないのに視力障害、視野狭窄があると主張する。右症状がある場合、視神経等に異常があり、その原因がわかるものであるところ、原告には各種検査のいずれにも器質的異常がない。原告の右症状の原因は、本件事故と関係のない原告の有するヒステリー心因性要素以外には考えられない。これを詳述すると以下のとおりである。

(1) 本件事故が発生したのは、昭和五五年四月六日であるところ、原告は、小山眼科で、昭和五六年一月七日に受診し、同日の視力検査では、右裸眼〇・九、左同一・二であり、屈折検査(近視、乱視の検査)では、右眼にマイナス〇・五というごく軽い近視があり、左眼は正常となつており、眼底検査では異常なく、cff検査(視神経の感度を調べる検査、被検者が見えるかどうかを応答することによつて数値を出すもの)も異常はなかつた。昭和五六年二月一二日、原告は、前眼部検査、調節検査、眼底検査、生体顕微鏡検査(角膜・水晶体・虹彩等の検査)を受けており、そのいずれも異常はなく、矯正視力検査によると、右裸眼視力は〇・六で、〇・七五デイオプトリーの軽い近視レンズをかけると、矯正視力が一・〇となつており、左裸眼視力は一・二である。本件事故から一年後の昭和五六年四月六日の右裸眼視力は〇・七(矯正視力は〇・七五デイオプトリーのレンズで一・〇)、左裸眼視力は一・〇となつている。原告は、小山眼科に、昭和五七年八月一一日まで受診しているところ、最終的には〇・〇五まで視力が落ちているとの診断である。ところが、原告は、視神経に異常がなく、眼底に異常がない。小山医師の証言によれば、原告の年齢で「近視がこんなに進むのかという疑問が出るんですが、これは、近視そのものが出たのではなくて、(眼瞼痙攣のため)目をほそめて凝視・・・そういう動作によつて・・・他覚的には近視にみえるのです。ですから、このマイナス二・五デイオプトリーという近視は、最初に比べたら大分強いめの近視になつていますが、本当に近視が進んだとは思いません。」とのことである。

小山医師の証言によれば、視力が落ちるには、近視が進んだため視力が落ちる視力障害と、角膜、黒目を負傷したとか、高血圧、糖尿で眼底出血したとかの場合と、視神経異常で視力が落ちる場合の三つがあるとのことであるが、原告には視神経に異常がなく、眼底に異常がないから、眼瞼痙攣からきた羞明によつて視力障害を起こしていると判断したとのことである。小山医師は、原告から交通事故によつて視力が落ちたといわれ、視神経の方を調べないといけないと考えて、ほぼ毎回cffをはかつたとのことであるが、cffをはじめとする諸検査で視神経には何ら異常がないことを認めている。三根医師の証言によつても、視神経の検査ではいずれも異常がなかつた。各眼科から取り寄せした各カルテによつても、いずれも視神経に異常が認められていない。小山医師は原告の視力の低下は、眼瞼痙攣によるものであり、その眼瞼痙攣は精神的なものであるということを認めながら、証言の後半において、頸腕症候群も原因であるかのようにいわれる。しかし、眼瞼痙攣は、神経疾患に属し、頸腕症候群とは、何ら関係をもたない。すなわち、眼瞼痙攣は、眩輝、前眼部刺激症状、脳炎後のパーキソン病、脳卒中後等にみられる症候群の他に、はつきりした器質的原因なしにおこる特発性のものとがある。原告が、阪大病院及び三根医師に「中枢性視覚障害」といわれたのは、眼瞼痙攣が原因ということである。したがつて、原告の「中枢性視覚障害」は本件事故と関係がない。

(2) 三根医師の鑑定によると、視力は、右〇・〇一(矯正〇・〇二)、左〇・〇一(矯正不能)となつている。視力検査は、原告の応答によるものであり、原告の応答が不正確ないし作為的であれば、検査結果に正確性の保障はない。三根医師は、鑑定の検査結果から第一視中枢から第二視中枢に至るまで、何ら異常がないと証言する。視神経については何ら異常がないということである。それにもかかわらず、視力と視野狭窄に異常があるとすれば、その原因は、中枢部分ということであるとされる。視神経を通つてきて、見えるはずなのに、見えないのは、精神科、神経科の分野の問題である。例示として、ヒステリーをあげ、心因的要素をあげられる。原告の症状については、視神経の検査で異常がなく、どうして見えないのかの説明がつかない。三根医師は、どこがわるいか説明がつかない場合には中枢性の障害以外に該当するものがないとされる。そして、中枢性のどこかということはわからず、その原因もわからないがはつきりした原因がわからないから、外傷と関係があるんではないかという推測です、と証言する。中枢性のどこかわからない以上、原因はわからないはずで、右推測は、交通事故による心因要素が、ノイローゼ要素になつているかもしれないという推測をこえない。事故後一年二か月以上経過して、視力が落ちるという例についても、三根医師は、記憶がないということであり、この点からも、原告の症状と、本件事故とは関係がない。

(3) 松田病院の診断書(甲第六十二号証)では、原告は自律神経失調症となつており、その症状が、交通事故によるものか否かは不明とされている。

(4) 原告は眼科だけで、小山眼科・大阪医大眼科・尾辻眼科・阪大眼科・ハマノ眼科等に行つて、数多くの検査をうけているが、患者の応答によつて結果が出るものについては、検査結果がきわめて不安定である。例えば、大阪医大の労災病院への紹介状でも、cff検査で「変動がはげしい」(九月十一日と九月十四日では全く違う)、GP(視野検査)で「答え方不正確」、「小山眼科でも・・・やはり検査値に変動があるとのことです。」とある。

(三) 原告は、自宅とスーパーを自転車で往復しており、また、自宅から遠い所にある阪急高槻駅まで、交通量の多い道路を自転車で走行している。さらに、原告は、地下鉄に乗降し、地下の階段を昇降しており、日常生活に支障を及ぼす程の視力低下があるとは、到底考えられない。

三  抗弁

本件事故の発生については、原告にも、本件交差点を横断するにあたり右方の安全を確認しなかつた過失がある。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりである。

理由

一  本件事故の発生について

請求原因1(一)ないし(四)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。いずれも成立に争いのない乙第一七ないし第二二、第二五号証及び原告本人尋問(第二、三回)の結果によれば、本件事故の発生状況は次のとおりであると認められる。すなわち、被告松本は、加害車を運転して、本件交差点を青信号に従つて東から南西に左折するにあたり、当時降雨中で自車左側窓ガラスが曇つていて左前方の見通しがやや困難であつたから、左折方向前面の本件交差点南西詰に設置された横断歩道の直前で一時停止して歩行者等の有無を確かめ、自車進行方向の安全を確認すべき注意義務があるのにこれを怠り、右横断歩道上に歩行者等はいないものと軽信し、時速約一五キロメートルで左折進行したところ、折りから右横断歩道上を、右手で傘をさし、左手でハンドルを握つて東から西に青信号に従つて横断進行中であつた原告運転の自転車前輪右側に加害車左前角を衝突させ、原告を路上に転倒させた。

二  責任原因について

請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがなく、前認定した本件事故発生状況によれば、同(二)の事実が認められる。したがつて、被告会社は自賠法三条に基づき、被告松本は民法七〇九条に基づき、それぞれ原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

三  受傷、治療経過及び後遺障害について

1  いずれも成立に争いのない甲第二ないし第五号証によれば、原告は、本件事故により、頸椎捻挫及び左肩、両膝、右小指、左環指、左小指各挫傷の傷害を負つたことが認められる。

2  いずれも成立に争いのない甲第二ないし第五、第一九、第三一、第三九、第四二、第四七、第四八、第五一、第五二、第五四、第六〇号証、第六一号証の二、第六二、第六三号証、原告本人尋問の結果(第一回)及びこれにより真正に成立したと認められる乙第八、第九号証並びにいずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第三〇、第三二、第四〇号証によれば、原告の治療経過につき次のとおり認められる。すなわち、

原告は、昭和五五年四月六日及び同月七日、みどりケ丘病院で左手第四、五指挫創、右手第五指挫創の病名で通院治療を受け、同月八日から同年八月一日までの間に、岡田外科で頸椎捻挫及び左肩、両膝、右小指、左環指、左小指挫傷の病名で通院治療(実日数八三日)を受け、同年八月二二日、松田医院で頸部捻挫後遺症の病名で通院治療を受け、同年六月五日から昭和五七年三月ころまでの間に、行岡病院で頸部捻挫の病名で通院治療(実日数約一〇〇日)を受け、昭和五六年一月七日から昭和五七年八月一一日までの間に、小山眼科で顔面神経麻痺(右)、軽度近視眼(右)、眼瞼痙攣(両)の病名で通院治療(実日数一二日)を受け、同年三月六日から昭和五八年四月二五日までの間に、京医院で右半身不全麻痺、右顔面神経麻痺、頸部痛、顔面痙攣等の病名で通院治療(実日数二二五日)を受け、昭和五七年九月一一日、大阪医大病院で眼心身症(両)の病名で通院治療を受け、同月二一日から昭和五八年八月九日までの間に、阪大病院で中枢性視覚障害の疑い、調節障害(両眼)、近視両眼の病名で通院治療(実日数一九日)を受けた。

3  原告が主張する眼に関する後遺障害について検討する。

(一)  眼の症状に関する治療経過及び検査結果等

前記甲第一九、第三〇、第三九、第四〇、第四二、第四八、第五二、第六三号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第六四号証、乙第三三ないし第三五号証、鑑定人三根享の鑑定の結果(以下三根鑑定という。)、証人三根享及び同小山賢二の各証言並びに原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)によれば次の事実が認められる。

(1) 原告は、本件事故後約六か月を経過した昭和五五年一〇月ころ、眼が見えにくくなつたことに気づいた。

(2) 原告は、昭和五六年一月七日、小山眼科を初めて受診した。右当日施行された視力検査では右裸眼視力〇・九、左同一・二、右裸眼近距離視力〇・九、左同一・二であり、屈折検査では右眼にごく軽い近視の屈折異常があつたが左眼は正常であり、視神経の感度を調べるCFF検査では左右の視神経の感度はほぼ正常であり、精密眼底検査では眼底に異常はなかつた。同眼科の同年二月一二日施行の視力検査では右裸眼視力〇・六、左同一・二、右裸眼近距離視力〇・七、左同一・〇、右眼にマイナス〇・七五デイオプトリーの軽い近視のレンズをかけると右矯正視力は一・〇であり、生体顕微鏡検査では角膜、水晶体、虹彩に異常なく、精密眼底検査では眼底に異常がなかつた。その後、同眼科の同年四月六日の視力検査では右裸眼視力〇・七、左同一・〇、右裸眼近距離視力〇・五、左同〇・九、右眼にマイナス〇・七五デイオプトリーのレンズをかけると右矯正視力一・〇、右同近距離視力〇・七であり、同眼科の同年六月二四日の視力検査では裸眼近距離視力が右〇・二五、左〇・四であつたほかは四月六日のときと同じであり、同眼科の同年八月四日の視力検査では左右裸眼視力各〇・七、右裸眼近距離視力〇・二、左同〇・三であり、同眼科の同年九月三日の視力検査では右裸眼視力〇・三、左同〇・五、右裸眼近距離視力〇・二、左同〇・二五であり、同眼科の昭和五七年二月二二日の視力検査では右裸眼視力〇・〇五、左同〇・一、右裸眼近距離視力〇・〇七、左同〇・〇八であり、右眼眼瞼の開瞼が不十分で、羞明を訴え、また、右眼眼瞼の痙攣が著明にみられ、同眼科の同年三月二三日の視力検査では右裸眼視力〇・〇五、左同〇・〇七、右裸眼近距離視力〇・〇四、左同〇・〇六であり、同眼科の同年五月二九日の視力検査では右裸眼視力〇・〇二、左同〇・〇七左右裸眼近距離視力各〇・一五であり、右同日、原告は、右の首から顔面及び右眼がひきつけるので目があまりあかないと医師に訴え、同眼科の同年七月六日の視力検査では右裸眼視力〇・〇五、左同〇・〇七、右裸眼近距離視力〇・〇九、左同〇・〇八であり、羞明及び眼瞼の痙攣が著明にみられ、同眼科の同年八月一一日の視力検査では左右裸眼視力各〇・〇五、右裸眼近距離視力〇・一、左同〇・一五、マイナス二・五デイオプトリーの中等度の近視のレンズをかけると左右矯正視力各〇・〇七であつた。その間、同眼科で右各診察日に施行された生体顕微鏡検査、精密眼底検査、CFF検査、精密眼圧検査では異常はなかつた。小山医師の最終的な診断によれば、原告は、視神経、眼底に異常がないことから、眼瞼痙攣からきた羞明によつて視力障害を起こしている、そして、近視そのものがでたのではなく、見えないものを無理に見ようとして凝視することによつて水晶体の膨隆が起こり、他覚的にも自覚的にも近視の状態になつたと考えられる、としている。そして、同医師は、眼瞼痙攣、羞明をおこす原因として、原告自身の精神的なものが二〇パーセントないし三〇パーセント、あとの八〇パーセントないし七〇パーセントは頭部を打撲したことによる鞭打症あるいは頸腕症候群ではないかと思うとされ、鞭打症あるいは頸腕症候群から眼瞼痙攣がおこつてきても不思議ではないと思う、とされている。

(3) その後、原告は、昭和五七年九月一一日、同月一四日、大阪医大病院眼科で受診した。同病院では、左右裸眼視力各〇・〇二(矯正不能)、前眼部、中間透光体、眼底に異常なし、診察や検査をしようとすると眼瞼の痙攣がひどくなり開瞼困難となつた。同年九月一一日のCFF検査では異常を示したが、同月一四日の同検査では正常であつた。また、同日なされた調節力検査も正常であつたが、原告を診察した金山るり医師によれば、〇・〇二の視力では調節力は測定できないはずであり、もし調節力検査ができたのであれば、少なくとも〇・一以上の視力があつた可能性があるとしている。そして、通常、視力が〇・〇二程度の場合、中間透光体、眼底に著明な異常所見が認められるのに、原告の場合、両眼瞼の痙攣があるものの、眼球、眼底、視神経に異常が認められなかつたので、当時、医大を卒業した直後の新任の医師であり経験の乏しかつた同医師は、原告の症状の診断に苦慮し、上司の眼科医に相談して眼心身症(両)の病名とした。眼心身症とは、ノイローゼ、ヒステリー、極度の緊張感があるとき等に心因性反応により視力障害を生じる場合であり、眼球、視神経等に器質的異常は全く認めないというものである。

(4) その後、原告は、同年九月二一日から阪大病院眼科で受診した。右病院の診療録の発病・経過欄には、「後頭部痛があると光が走つて両眼みえなくなることとあり、後頭痛がないとよくみえる」との記載がある。また、同診療録中の視野検査表には「中心部応答不安定」の記載が、視神経の感度を検査する中心cff欄には「測定困難(不安定)」の記載が、同年九月二八日欄には左右視力が非常に不安定である旨の記載が、同年一〇月一二日欄には「脳障害、心因性が疑われる」との記載が、昭和五八年一月二五日欄には「右顔面ケイレン(+)、開瞼しがたい、心因反応も加つている?」との記載がそれぞれなされている。そして、同病院の中尾医師作成の昭和五八年二月一五日付自賠責保険後遺障害診断書によれば、脳CTスキヤン、視覚誘発電位、網膜電図などには異常所見を認めず、左右矯正視力各〇・〇八、調節力右三D、左二D、注視野の広さは正常であり、事故との関連及び予後の所見としては、「交通外傷の後、視力低下、視野狭窄、調節障害を強く訴える。外傷に関連する中枢性の視覚障害に因ると考える。視機能回復は困難と考える。」とされている。また、同病院の医師雲井弥生作成の昭和六二年一月三〇日付自賠責保険後遺障害診断書によれば、自覚症状として「視力障害及び視野障害、右眼眼瞼けいれん」、検査結果として「視力、視野障害を認め、眼球運動障害を全方向に対して認める。前眼部、中間透光体、眼底所見は正常」、眼球の障害として「右裸眼視力〇・〇二、左同〇・〇一、左右とも矯正不能、調節機能は測定不能、視野狭窄(八方向)は両眼とも中心部三〇度残存を認めるのみである、注視野の広さは両眼中心部三〇度」、眼瞼の障害として「右眼眼瞼けいれん」、事故との関連及び予後の所見として「因果関係者と考える(事故による中枢障害のため、視機能障害出現していると考える)、機能回復は困難と考える」とされている。ところで、中尾医師は、昭和六二年一月一九日、被告ら代理人弁護士から依頼を受けた株式会社生保リサーチセンターの調査員に対し、原告の症状について、精神的、心因的要因から生じている視力障害であり、かような場合も広い意味で中枢性視力障害に含まれ、本件事故が右中枢性視力障害を発生させるきつかけになつた可能性があり、また、眼瞼痙攣が事故前に存在しなかつたのに事故後に現れたのであれば何らかの関連はある等の回答をなしている。

(5) 本訴で原告の症状につき鑑定した大阪赤十字病院眼科の三根医師による前記三根鑑定の鑑定所見は、「1、視力右〇・〇一(矯正〇・〇二)、左〇・〇一(矯正不能)、2、顔面の右半分に痙攣性の収縮がおこる。3、眼球運動に障害なし。前眼部、中間透光体、眼底に著変なし。4、調節力は測定不能。周辺視野は中等度の求心性狭窄。5、眼瞼痙攣強く眼圧測定、ERG検査は実施出来ない。6、頭部X線単純撮影、CTスキヤン異常なし。」とされ、視力障害についての鑑定意見は、「〈イ〉 鑑定所見の1、3、5より中枢性の障害と考えられる。〈ロ〉 障害等級は、眼球の障害の中の視力障害第二級の二に該当する。〈ハ〉 中枢性視力障害は業務に起因するものである。」とされている。そして、同医師によれば、視覚中枢には第一視中枢と第二視中枢とがあり、各検査結果では、原告の場合、第一視中枢及び第二視中枢には異常がない。そして、本当に物を見てどうこう判断するというのはもう一つ上位の精神的要素の入つた中枢で行なうということになるが、この部分の障害は、解剖するか精神科あるいは神経科の鑑定を要する、眼科医が患者を診る場合、九分通りはどこが悪いか説明がつくが、後の一分はどうしても説明がつかない場合があり、そういう場合には中枢性の障害と考える、原告の場合がそれに相当する、また、顔面神経痙攣は外傷以外の原因で起こる場合が多いところ、これは眼をパチパチさせるので視力にも視野にも影響する、外傷性の視力障害は、通常、数週間から六か月くらいの間に出現することが多い、それ以降に出現する場合は心因性のものもあると思うとしている。

(6) 昭和六二年二月一四日付の東京慈恵会医科大学眼科医師松崎浩作成の意見書では、「頭頸部損傷事故後、一年二か月を経て視力障害が出現することがありうるか。」との問に対し「当該事故後のものとしてはありえない。外傷後遅発性の視力障害がみられる場合もまれに存在するが、血腫(ただし片眼性)によるものは約一週間以内であり視交叉クモ膜障害によるものは両眼性ではあるが、ほぼ一か月前後に発症する。」とされ、「本例に対する病態に関してはどう判断するか。」との間に対し「本症例は発生状況及び検査経過よりみて視路に障害があるとは考えられない。あえてこの原因に言及すれば外傷を起因とする心因性障害またはヒステリー症候群と考えられる。」とされている。

(二)  検討

(1) 検乙第一ないし第六号各証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五八年四月ころ、自転車に乗つていたことが認められるが、原告本人尋問の結果(第三回)によれば、原告は医者から勧められて昭和五八年末ころまで自転車に乗つていたことがあるとのことであり、前記甲第四八号証によれば、昭和五八年二月一五日当時、原告の矯正視力は左右とも〇・〇八であつたとされているところ、前記乙第三五号証によれば、視力〇・〇一の人が自転車に乗ることは全く不能であるということであるけれども、前記三根証言によれば、困難ではあろうが視野がある程度あれば可能と思うということであるので、原告が昭和五八年ころ、自転車に乗つていたことがあつたとしても、この一事をもつて原告の視力の低下が全て虚偽であるとすることはできない。そして、右のとおり、原告が昭和五八年ころまで自転車に乗つていたことは認められるものの、それ以上に、被告らが前記事実摘示第二、二5(三)前段で主張するような具体的な事実を認めるに足りる証拠はなく、また、被告らが右同後段で主張する事実を認めるに足りる証拠もない。

(2) 視力検査の結果は、たしかに被検者の応答によるものであるから、見えているのに見えないと答えれば誤つた検査結果となるであろうけれども、本件の原告の場合、前にみたとおり、昭和五六年一月ころ以降徐々に視力が低下し、前記甲第六四号証によれば、最終的には、昭和六一年一二月一九日の阪大病院眼科の診断において右裸眼視力〇・〇二、左同〇・〇一、左右とも矯正不能と診断されているところであり、また、原告には右眼に眼瞼痙攣が他覚的所見として認められ、これらによれば、その原因はともかくとして、原告の現在の症状としては、前記甲第六四号証記載のとおりの視力障害が存在すると認めるのが相当であり、また、前記のとおりの原告の視力の低下状況に鑑みれば、原告の眼に関する後遺障害は、昭和五八年二月八日ころには症状が固定したものと認められる。しかるところ、原告の右後遺障害は、別表の後遺障害等級の二級二号に該当するものと認められる。

(3) いずれも成立に争いのない甲第二〇、第五九号証によれば、原告は、本件事故前である昭和五四年一〇月三一日当時、右裸眼視力一・二、左同一・五であつたことが認められるので、原告の現在における視力低下は本件事故後のものであると認められる。

(4) しかるところ、前記乙第三五号証によれば、外傷後の視力障害は約一か月後には発症するとされ、また、前記三根証言によれば、事故後六か月くらいの間に視力障害が発生することが多いとされているところ、前にみたとおり、原告は、事故後約九か月を経た昭和五六年一月になつて初めて小山眼科を受診しているのであるが、その際の診断は前記のとおり右裸眼視力〇・九、左同一・二ということであるから、本件事故前の前記視力よりは低下しているものの従前の視力と比して顕著な差があつたわけではない。そして、前にみたとおり、原告の視力障害については、特に原因を指摘することができず、眼科的諸検査では異常が認められないため中枢性の視力障害であるとされている。

(5) ところで、原告本人尋問の結果(第二、三回)によれば、原告は加害車と衝突してほとんどまつさかさまに路上に転倒し、その際、後頸部から右肩を打撲したというのであるが、本件事故直後受診したみどりケ丘病院の診断書には右打撲に関するものは記載されていないので、原告が真実右のとおり打撲したのかについては疑問が残るところではあるけれども、原告が右のとおりの打撲を負つていたとしても、診断書に記載するまでもない程度であり、また、原告の主訴もその程度にすぎなかつたものと認められ、いずれにしても、みどりケ丘病院の医師としては、事故直後に受診した当時の原告の主訴及び外見的な傷害の程度から、右第五指、左第四、五指挫創が治療を要すべき傷害であると判断したものと認められる。

(6) しかるところ、前記のとおり、原告の視力は、昭和五六年一月ころから低下していくのであるが、この原因につき、小山医師は、眼瞼痙攣からきた羞明によつて視力障害を起こし、その原因として原告自身の精神的なものが二〇ないし三〇パーセント寄与し、残余は本件事故が寄与しているものである旨を述べるけれども、いずれも成立に争いのない乙第三〇号証、第三一号証の一によれば、眼瞼痙攣とは、眼輪筋の痙攣による間代性または多くは持続性の痙攣的閉瞼であり、三叉神経痛など末稍性要因により反射性に起こるもの、脳炎後パーキンソニズムや錐体外路系疾患の部分症状として出現するもの(以上症候性眼瞼痙攣)とより上位中枢の障害により精神的影響を受けやすい本態性眼瞼痙攣があると認められ、原告の眼瞼痙攣は右後者にあたると考えられること、阪大病院眼科の中尾医師は、前記のとおり、原告の症状は、精神的、心因的要因から生じている中枢性視力障害であり、本件事故がその発生のきつかけになつた可能性があり、また、眼瞼痙攣も事故と何らかの関連はあるとしているにすぎないこと、大阪赤十字病院眼科の三根医師は、前記のとおり、原告の症状は眼科医として説明がつかず、その場合には中枢性の障害と考えるとされ、原因の解明には精神科あるいは神経科の鑑定を要するとされていること、また、東京慈恵会医科大学眼科の松崎医師は、書類による審査をしただけではあるけれども、原告の症状につき、前記のとおり、外傷を起因とする心因性障害またはヒステリー症候群と考えられるとしていること等の諸点に鑑みれば、原告の現在の視力障害は、本件事故により原告の身体に加えられた衝激が直接の原因として発生した器質的な障害によるものではなく、眼科的には器質的障害が認められないにも拘わらず、本件事故を一つのきつかけとして原告が有する特異な精神的体質が直接の、かつ、主な原因となつて発生したものと認めるのが相当である

(三)  以上検討したところによれば、本件事故が原告の前記後遺障害発生の起因となつているというべきであるから、本件事故と原告の右後遺障害との間には因果関係があると認めるのが相当であるけれども、右のとおり、右後遺障害発生の直接の、かつ、主な原因は原告が有する特異な精神的体質にあるというべきであるから、原告の右後遺障害に基づく損害の全部を被告らに負担させるのは公平の理念に照らして相当ではないので、過失相殺の規定の趣旨を類推して、原告の右損害のうち、その二割を限度として被告らにその賠償責任を負担させるのが相当である。

四  損害について

1  後遺障害による逸失利益 六五八八万円

原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)及び前認定した原告の後遺障害の内容、程度並びに経験則によれば、請求原因4(一)が認められる。

2  後遺障害慰謝料 一四〇〇万円

前認定した後遺障害の内容、程度等諸般の事情に鑑みれば右額とするのが相当である。

五  過失相殺について

原告は、前認定したとおり、自転車に乗り青信号に従つて横断歩道上を東から西に進行中、東から南西へ左折してきた加害車に衝突されたものであるところ、かような場合、直進している横断者は、左折車両において横断歩道手前で一時停止し、自車前方の安全を確かめたうえ左折進行するであろうと信頼して横断するのが通常の事態であるから、直進する横断者に、横断歩道手前で一時停止せず自車前方の安全を確かめないで左折進行してくる車両があることまで予見すべき注意義務はないというべきである。したがつて、原告には本件事故発生について被告らが抗弁で主張する過失は認められない。抗弁は失当である。

六  結論

以上のとおりであるから、被告らは原告に生じた損害合計七九八八万円の二割にあたる一五九七万六〇〇〇円につき賠償すべき義務がある。また、遅延損害金は、原告の症状が固定した昭和五八年二月八日以降につき認めるのが相当である。したがつて、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自一五九七万六〇〇〇円及びこれに対する原告の後遺障害が固定した日である昭和五八年二月八日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐堅哲生)

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